私のてんかん治療で思い出深いところをピックアップ
私がてんかんになって、過去に治療した経歴です。
私のてんかんを治療してくれた先生は4人…どの先生も個性的でした。
先生達と関わることで気付きがあり今の私があります。
冒頭は私のてんかん発症から時系列で書かせていただきますm(._.)m
ショック!高校生でてんかんの発症
私がてんかんの発作で意識を失ったのは、高校生でバイトから帰る途中の出来事でした。
夜の8時頃にバイトが終わり雨の中、家の近くのコンビニの前まで来て記憶は途切れます。
気付いたら、私は寝かされていて『動いている真っ白な部屋にいる』というのは最初に分かりました。
横には母がいて、心配そうに私を見ているのです。あの時、本当に泣きそうな………本当に心配そうな顔だったのが、、今にも忘れられません。
「あなたは倒れたのよ」
「?!」
私がビックリして起き上がり再び周りを見渡すと、真っ白な白い部屋は救急車でした………(まさか自分がサイレンを鳴らされて運ばれるとは…)
救急隊員が、意識レベル〇です~と報告?してやっぱプロだな~とボンヤリ考えてたのですが、起き上がった途端強烈な頭痛。。
連日、私は夜遅く起き趣味のゲームやイラストを描いて不規則な生活をしていたのも発作の引き金になったのでしょうね…。
後で聞いた話、救急車に運ばれた時なぜ母も一緒に乗れたかというと、私が倒れた直後にたまたま携帯に電話したそうです。
鳴った携帯に出たのが近くにいた女子学生で、私が倒れたことを伝えてくれたっていう…。てんかんで倒れはしましたが、これは運が良かったですね^^;
病院で寝れなくて脳波が測れない!
救急車で運ばれ後日、総合病院で精密検査をすることになりました。
私は歩行中に意識を失い、手もつかずアスファルトに頭を勢いよく打ったので脳内が出血してないか心配されました。
まず、CT検査とMRI検査(脳内を画像で見れる)で異常がないか調べ「特になし」とされました。
そして病気の診断として、一番可能性の高い”てんかんもかもしれない”ということで脳波をとることにしました。
脳波を測る部屋に入り私は驚愕しました。
部屋の中央に銀メッキのベッド(手術台みたいなの)があり、脳波を診る先生はもう1つのつながってる部屋で患者が寝てるかチラチラ見れる仕様だったのです…!
私の想像してたのは、フカフカのベッドで誰にも邪魔されずに安眠できる部屋。。
こんなんで寝れるかよwwwぜんっぜん熟睡できない………!
眠りに落ちないとてんかんだと分からない人もいるので焦りました。
途中、私が脳波であまりにも寝ないので睡眠薬を渡されることがありました。
だけど結局キンチョーして眠れない…。
薄目を開けるとカーテンの隙間から先生が私を見ているんですどんなプレイですかこれはーーーーー?!?!?
(様子を見てるのは分かるんです…よ…でも…!ッ!気になるじゃないですか?!^^;)
で、、、
私の場合は起きていても脳波にてんかんと思われる乱れがあったこと、抗てんかん薬が効くことから「てんかん」と診断されました。
その後、転院した病院ではキンチョーして眠れないことはなくなりました。
そこでは脳波を測る際に、ふかふかのベッドで空調が整えられていて照明も落としてくれてと…いつもの睡眠に近い状態にしてくれたのです。
病院によって環境が全然違うなぁと感じた瞬間でした。
社会人の立場になって考えてくれた先生~感動秘話~
学生から社会人になり新人の頃は平日は何かと休めないもの…。
私が社会人でかかりつけ医に感謝したのは、そんな平日休めないことから休日に診療してくれることでした。
ラッキーなことに病院自体が休日診療してくれるところだったんですね。
医師が「会社大変だから休日に診療しようか?」と私の立場にたって提案してくれるだけで精神的に大分楽でした。
日々の仕事の中で通院のスケジュール調整を考え、仕事が大変だから休日にしてくれって自分から言うのとでは大違いなのです。
ちょっとしたことですがこの毎回の診療スケジュールの調整や、先生が私の立場にたって労わってくれる言葉をかけてくれるのがとても嬉しかった。
「医師が患者の立場になって会話をする」ってけっこう出来てない先生多いと思うんですよね…。
そんな考えから生まれたのがこのサイトです。